空回るテルちゃんの片思い『愛がなんだ』
この小説はそういえば男友達からおすすめされたんだった。
読んだのはもうずいぶん前だけど、今年ベッキーの騒動があって、ふと思い出した。
角田光代さんと言えば『対岸の彼女』や『八日目の蝉』などの代表作がある。
『愛がなんだ』は上記の小説とはまったく違うテイストの恋愛小説だ。
あらすじは要約するとこうなる。
テルちゃんはマモちゃんが好き。でも彼はテルちゃんが好きじゃない。
なんてこったい。
四回目に食事をしたあとで、田中守のアパートで性交した。
何もかもうまくいくと思った。
今度こそはうまくいくと確信した。
田中守は結婚もしておらず、恋人はいないと言っていたし、浮気をくりかえすタイプの男には見えなかった。
もし五ヵ月前の私たちを百人が見ていたら、おそらく九十七人は、このままふたりは問題もなく交際をはじめるのだろうと思っただろう(残りの三人は悲劇的な悲観主義者か男と恋愛に深い怨恨を持つヒス女、もしくは本物の預言者だろう)。
主人公の山田テルコ(テルちゃん)は都合のいい女としてひとつ年下の、田中守(マモちゃん)に全力の片思いを続けている。
各章の見出しがこんなかんじ
・「あいのひかり公園」で、愛とはほど遠いメンツにかこまれ、愛について考えてみる
・ストーカーが私のような女を指すのなら、世のなかは慈愛にみちているんじゃないの
・風が吹けば桶屋が儲かる、恋愛運が上昇すれば仕事運は下降する
・クリスマス間近の町を、くそったれとつぶやきつつ私はひとり歩くのだった
・もうほんと、ほかにだれもいねえよってときに、呼び出してもらえるようでありたいっす
・思い浮かべた百の不幸も、私に比べたら千倍のハッピーに匹敵するんじゃなかろうか
・山田テルコ二十八歳、自尊心というものを道ばたに投げ捨てて唾をかけてみる
・噛ませ犬、当て馬……言いかたは忘れちゃったけれど、つまりそんなようなものである
・この女、ひょっとして大嫌いかもしれないのに、なんか嫌いになれないのはなんでだろう
・好きになってごめんなさいと、あやまんなきゃいけないような気がするときもある
・あといくらでもがんばれるって思ってんのに、どうやら何かがダウンしはじめる
・もしほしいものがそこにないのならーーーーー
わたしからすると、まったく共感できない恋愛をしているテルちゃん。
そのテルちゃんの大好きなマモちゃんは自分が世界の大中心って感じの自分系で身勝手な男。
そのマモちゃんから、好きな女を紹介され、恋愛の相談に乗ったり、三人で遊んだり、ひたすらに振り回される。
それでも、作品全体のトーンが明るいのは、主人公の言動や行動によるもので、それが恋の副作用なのか、元々のテルちゃんのたりなさに起因しているのかは不明だ。
ただ、この作品のおもしろさは何かと問われたら、わたしはこう答えたい。
部分的に散りばめられた描写を味わう小説。
ストーリーも悪くないけど、心惹かれたのは緻密な描写だった。
一つのお話に、情景描写、行動描写、心理描写など、優れた文章がたくさん綴られている。
シュミーズ姿のまま、窓から外を見る。
隣のビルの壁と、変形空が見える。
その合間を、蜘蛛の糸みたいに電線が複雑に入り組んで走っている。
その黒い糸の一本一本でさえ、昨日までは馬鹿らしくて醜くて無意味だと思っていた。
でも今日は、変形四角の空の、突き抜けたような青さに目がいくのだから、私はずいぶんかんたんな女だ、と思う。
わたしは過剰な描写を嫌うので、この小説に出てくるサラッと読ませる文章に弱い。
「好きだからとか、そういう単純な理由なんじゃないのかなぁ」
私は言ってみる。
言いながら、笑ってしまう。
好きだから、なんて単純な理由で、私のやっていることのすべてを括ることができればどんなにいいだろう。
テルちゃんとマモちゃんの恋愛を見守りつつ、世界のままならなさに思いを馳せる。
男の人はどう読むのか、ちょっと興味があるな。