わたしたちは試されている『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

 

 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んだ、ついに。

最高の作品だったと称賛すると同時に、この小説を読むのが遅くなったことが非常に悔しい。

わたしは大きな勘違いしていたのだ。

映画『ブレードランナー』が素晴らしいので原作も評価が高いのかと。

そう思っても仕方ない『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』という有名なタイトルの次に必ず語られるのは『ブレードランナー』の原作ということなのだから。

はっきり言って、小説と映画は大分内容が違う。

ただ、まったく違うのではなく、この小説は解釈によって幾らでも物語が作れるくらい詰めこまれているので映画で描かれているのは一部ということだ。

「これは内容豊かな本だ。人口減少と半致命的な放射性降下物、ウィルバー・マーサーと共感ボックス、生類への宗教的愛護とアンドロイドに対する無慈悲な殺戮、特殊者と賞金かせぎ、ムード・オルガンとバスター・フレンドリー、これらの要素の一つ一つが意味を持ち、それが渾然一体となって、さらに深い意味を持つように構成されている。
あなたは再読のたびに新たな角度からそれを発見するだろう。そして、かなり自信を持っていえるのは、このハッピー・エンドがあなたを泣かせるだろうということだ」ージュディス・メリル

 ドラえもんの秘密道具にありそうな、ダイヤルを回すと気分・欲求をコントロールできる情調(ムード)オルガンや表題の電気羊にも関心をもったが、主人公のリック・デッカードというバウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)が登場したすぐあとに、J・Rイジドアという別のキャラクターが現れたことにいちばん驚いた。

このJ・Rイジドアはもう一人の主人公なのだが、映画『ブレードランナー』には登場しない。

ちなみに上記のムードオルガンや電気羊もマーサー教も映画では描かれず、元ブレードランナーのリック・デッカードが、アンドロイドを処理するというハードボイルドな雰囲気のSFに仕上がっている。

この小説が興味深いのはアンドロイドとの会話であり、二人の主人公それぞれのアンドロイドとの関わり方である。

ページをめくるだけで気持ちが高ぶってくるのは、会話を通してこの小説が、さまざまな価値観を問いかけてくるからだ。

そう、この小説に、わたしたちは試されている。

この作品がおもしろいかどうかは、読み手に委ねられていると言ってもいいと思う。

この小説を読みながら、自分でも人間とアンドロイドの境界線を考える。

その思考する時間があって、またこの作品を好きになっていく。

小説では主人公リック・デッカードの一日、J・Rイジドアの一日、アンドロイドの一日が同時進行でテンポよく複雑に描写されているが、この仕組みはあの海外ドラマ、『24 -TWENTY FOUR-』と非常によく似ている。

わたしが監督ならこの小説を多視点で描きたいし、J・Rイジドアも必要で、ムード・オルガンとバスター・フレンドリーもどこかで使いたい。(ただ、ウィルバー・マーサーと共感ボックスについてはうまく捉えきれていない。)

ミッション通りの司法本部でのやり取りとレイチェルとの情事は外せないけど、わたしはアンドロイド側ももっと見たいと思う。

映画『ブレードランナー』は原作を読んでから観るとまったく物足りなかった。

わたしは映画が好きだけど、原作を読んだことがあるのは『スタンド・バイミー』くらいで、もしかして今まですごくもったいないことをしてきたのかもしれない。